夫の時短勤務
4月から夫が時短勤務を取得することになった。
夫は昨年から仕事が忙しくなり、終電にタクシー帰り、酷い時にはビジネスホテルに宿泊してそのまま出社する日が増えていた。そしてその状況はこの春以降も続くというのだ。
両家父母も離れて暮らしているため手伝ってくれる人がそばにいない。
育休中の今でも3歳児二人と0歳児の3人の子供を育てるのが大変なのに、そんな状況で職場復帰して仕事と家庭を両立させるのは、正直精神的にも体力的にも厳しい。というより無理である。
私だって好きで育児休職を取っているわけではない。仕事も頑張りたいし、今年は英語のスキルアップとMBAにチャレンジしたいと思っているため自分の時間をちゃんと確保したい。夫の協力なしでは新たなチャレンジは無理である。
私が職場復帰した後の体制について、夫と何度も何度も話し合った。
夫も上司と何度も相談してくれた。
結果、まずは4月から3か月間時短勤務で働いてみて、必要だったら延長申請を行うことになった。
実は時短勤務を取得するのは容易ではなかった。
まず、夫自身が時短勤務を取得することに乗り気ではなかった。
入社10年目ということもあり、それなりに評価されて今のポジションを獲得できたという自信とプライドを失うことになる。何より時短勤務をすることで他の社員に仕事の負担がかかるのが申し訳ない、というのが理由であった。
そして、上司から時短勤務をすると出世が遅れる等、時短勤務に否定的な意見を浴びせかけられたのも彼の気持ちに追い打ちをかけた。
一方、夫は今のような働き方をしたいと思っていないのもまた事実であった。
深夜まで働く日々はもうこりごり。子供達が起きている時間に帰宅して家族の時間を過ごしたいと思っている。
また、自分のキャリアについてちょうど悩んでいた。
仕事はそれなりにやりがいを感じているが、本当にやりたい仕事なのかと問うとそういうわけでもなさそうである。
私は時短勤務を取得することがマイナス方向に働くとは思わない、むしろプラスに働くことを夫に告げた。
私自身、双子を出産した後に時短勤務を行っていたが、働ける時間が限られるというプレッシャーから仕事への集中力が高まり効率がアップした。時短勤務を経験したからこそセルフマネージメント能力がついたと感じている。
また、子供と触れ合う時間が増えるし、仕事をしていては得られなかった自分の時間も増える。自分の時間が増えるということは自分を見つめなおすチャンスである。自分のキャリアについて考えたり、趣味や資格勉強などにも時間が使えるのである。
時短勤務中、夫がこれらのことを感じ取ってくれれば良いが。
それはそれとして、30年以上も続く会社人生の中のたった数か月~数年の時短勤務を取得したからといって、その人のキャリアに大きな傷がつくのだろうか。
本当に能力のある人は、数年のブランクがあっても力を発揮できると思う。会社は勤続年数ではなく能力評価すべきだろう。
時短勤務だけじゃない。産休、介護休職、病欠だってある。休職するのはいつも女性だけじゃない。様々な理由で男性も休職する恐れがあるのである。
働き方が多様化しているこの世の中で、社畜と化して働く人が上司でうまく部下をマネージできるのか疑問である。
本当に仕事一筋で働かなければ評価してもらえないような会社には私は属していたくない。
パイの日
思い立って断乳することに決めた。
三女の慣らし保育が4月から始まるため、保育園で預かってもらう間は哺乳瓶で粉ミルクを飲ましてもらう必要がある。
今から粉ミルクに一本化して入園前に慣れておこうと決めたのである。
これまで三女は母乳と粉ミルクの混合乳で育ててきたため、哺乳瓶でミルクを飲むことに抵抗がない。
寝かしつけは添い乳ではなく抱っこトントンで寝るため、三女はおっぱいにそれほど執着はなく、なくても十分生活できるのである。
もちろんおっぱいをあげられなくなるのは寂しい。
あげている時は親子の絆みたいなものを感じて、とても幸せな気分になっていたのだ。この感覚は男性には得られない女性の特権だろう。
もう4人目は作らないつもりだから、子供に母乳を与えるというおっぱい本来の働きもこれで最後だと思うと更に寂しさが募る。
「今日から子供にパイをあげるのやめる」とツイッターに書き込みをしたら、友人から「π(パイ)の日だけに」とリプがあった。
あぁ!!!今日は3月14日ではないか。3.14円周率πの日!!!
そして他の人からは「アメリカでは今日はpie(食べるパイ)の日らしいです」とリプが。
あぁ!!!なんたる偶然なの。
πにpieにおっパイ。
こりゃーいい記念日になった。
でも最も有名なのはホワイトデーだよね。パイ全く関係ないけど。
中身がなくてごめんなさい。
当事者意識
昨日、友人に会いに電車で片道1時間ちょっとかかるところまで遠出をした。
三女を連れてこんなに長旅をするのは初めてであった。
三女を抱っこ紐で抱っこして電車に乗ると、何人かに席を譲ってもらえた。
40代くらいの女性、結構若めの男性。
妊婦ならまだしも、赤ちゃん連れでも席を譲ってくれるんだと感動した。
電車に子連れで乗ると嫌な目をされるという話しか聞いたことがなかったから。
一方、座った隣には女性大生。
赤ちゃんの足が当たる度に嫌そうに体をよじらせたりスカートを引っ張ったり。
すいません。と謝ったものの、あなたが母親になったら私の気持ちが分かるだろうよ、と心の中でそっとつぶやいた。
当事者にならないと分からないことは多々ある。
しかし、当事者じゃないからと言って相手の立場や気持ちを想像できるのとできないのとでは、自分の取る行動やそれに付随する結果が全く異なるものになってしまう。
育児や公共の場面だけではなく、ビジネスの場面でもそう。ターゲットとなる市場や顧客の立場を想像できるかどうかで結果は異なってくる。
自分は常に他人の気持ちに寄り添って行動できる人間でありたい。
坊主になりたがらない若者達(夫編)
前回「坊主になりたがらない若者達」というタイトルでブログを書いた。
このことを夫に話すと、
「俺だって坊主になりたくないよ。坊主になる意味が分からない。」
と言われてしまった。
加えて言われたのが、「常々思うが、君の会社は体育会系の人が多すぎる。俺にはついていけない。」
そう、建設業界だからなのか社員は体育会系の人が非常に多い。
私もそのうちの一人だ。
翻って夫はというと中学はコンピューター部、高校はゆるい吹奏楽部と体育会系のノリを避けて育ってきたため、受け入れられないのも分かる。
では何故、私の職場に体育会系のノリについていけない若手社員が増えているのか。
若者に占める体育会系の割合が減っているのだろうか。
昔みたいに学校でも家庭でも厳しく育てられない子供が増え、なんでもかんでも年上の人の言いなりにならず自己主張できるようになってきた証拠かもしれない。
それとも社員の多様性を高めるために、人事の方針であえて体育会系以外の若者を採用しているのだろうか。
原因は分からないけど、体育会系の私たちがそうじゃない若者達とうまく業務をこなしていくためには、今まで通用していたことが通じない(坊主にするとか飲みに行くことを強要するとか)ことを肝に銘じ、これも時代の変化だと現状を受け入れて若者達と接するしかないのではないか。
強要すればするほど若者達の心は離れてしまう。
坊主になりたがらない若者達
私は建設業界で働いている。建設業界でも海外に工場やインフラ設備を経てる仕事がメインのため現場は何もない自然豊かな孤島だったり砂漠地帯だったりする。
とても過酷な環境だ。
私自身、海外の現場に二度駐在したことがあるが、何もエンターテイメントがなく宿舎と現場を行き来する毎日。朝から晩まで働いて、たまに同僚とお酒を飲んだり、休みが取れれば車で片道3時間のところにある都市部まで出かけて美味しいごはんを食べたりショッピングしたりするのが唯一の楽しみだっただろうか。
外国人の作業員に次々と指示を出し、時には客の文句に真摯に対応しながら撥ねつけ、プロダクトのクオリティーと工期を守る。過酷な状況で数か月から長くて1年以上も駐在するのだから精神的に強くなければやっていけない。
現場では、ほとんどの日本人男性社員が坊主になる。
自身の気合を入れるため、チームの結束を図るため、何より断髪式は盛り上がるし翌朝坊主で出社すると皆にいじられて面白い。
現場で男性社員が坊主になるのは恒例行事であり、最初は嫌がっていた人も最後には自ら坊主になると宣言するほど、坊主はほとんどの社員に受け入れられている。どうせ髪は伸びてくるんだしと言って皆丸坊主にするのである。
ところが最近の若手社員は様子が違うらしい。
まず、坊主になる意味が分からない、と言って拒むそうだ。
坊主になると面白いじゃんと言うと、坊主が面白い意味が分からないと答える。
確かに、坊主になる意味を問われると返答に窮してしまう。
きっとこの彼は高校球児が坊主になる意味も分からないのだろうなと思う。
高校球児が坊主になるのなんて日本人だけかも。でもみんなやってる。外国人から見ればStrangeかもしれない。坊主の意味が分からないと言っている彼も同じような感覚だろうか。
言葉ではうまく説明できないけれど、やってる本人達は何かしら意味を見出して坊主になることを選んでいる。
坊主になることも、ならないことも私は肯定も否定するつもりはない。それは個人の自由だ。
でも坊主になって頑張ってる人達が、意味が分からないと言われた時の気持ちを貴方は分かってるの?
坊主の意味が分からないと言ってる奴の意味が分からない、と言われた時に貴方はどう感じる?
坊主にすると彼女に別れると言われてる、とかウィットに富んだ返答でもしとけばよいものを、それを信じて行動している人を真っ向から否定する言葉を浴びせることの影響力も知らない人間がチームをまとめられるとは私は思わない。
三日坊主でもいいのです、やれるときにちゃんとやれれば
私は飽きやすい性格だ。
そのくせ変にモチベーションが高かったり真面目だったりするので厄介である。
私は仕事柄、英語を使うことが多々あり、外国の方々ともっと円滑にコミュニケーションが取りたいので英語勉強に対する意識は強い。
20代の頃、早くペラペラになりたくて無理な勉強スケジュールを立てて何度も失敗した経験がある。
"この参考書を1か月で終わらせるためには毎日これだけこなせばよい"と自分に課しても、勉強をすっぽかしてしまったら明日2日分やろう、1日で2日分のボリュームをこなすのは難しいので残りは次の日に繰り越し、またまた仕事やら急な飲み会やらで勉強すっぽかして…の悪循環で首が回らなくなり数日で勉強するのが嫌になってやめてしまうのである。
モチベーションが高いが故に目標を高く設定してしまい、真面目な性格故に目標が達成困難だと悟ると急に意気消沈して何も手につかなくなってしまうのだ。
短期間で語学を習得するためにはそれだけ自分の時間を英語学習に割かなければならず、そんな時間は私にはない。だいたい数か月で英語がペラペラになるわけではない。そう思い始めてから、長い年月かけて継続的に英語に触れることが語学習得への近道だということに気付いた。
最近は直近の目標を設定しないようにし、勉強方法を切り替えてNHKの英語番組を録画して見れるときに見ることにしている。
"今日見逃しても気にしない、見れた時に見た内容を集中的に勉強する"
というスタイルを取ってからは気持ちが楽になったし、勉強の密度が濃くなるので記憶にも残りやすい。
NHKの英語番組は毎日なにかしら放映されているし、1回10~20分なので集中力が途切れにくくて良い。
今は育休中で日中家にいる時間が多いのでこのスタイルが自分には合っており、この私でも半年間続けられている。
5月から職場復帰したら家でテレビを見る時間が減ると思うので、通勤時間中にNHKの語学番組をスマホで聞こうと思う。
こちら、ストリーミングが可能であり、前週分の内容がいつでも再生可能なので非常に便利である。
解をたくさん用意しておくことの重要性
仕事柄、社外の人と会う機会がたくさんある。
入社10年が経ち、仕事の内容については何を聞かれてもそれなりに対応できるようになってきた。
しかし問題は仕事以外の話題になったときである。
仕事以外の話題になると、なかなかパッとした話題提供もできないし、会話に加わっても話が盛り上がらないということが多々ある。
ちょうど理研の小保方晴子さんの不正疑惑が話題になっていた頃のこと。
ある方から「理系のあなたはこの件についてどう思いますか?」と聞かれ、当時そのニュースについて知っていたけど特に何も考えていなかった私は、返答できず惨めな思いをしたのである。
私は未熟だ。頭が悪い。話題に富まないつまらない人間かもしれない。そう思ってしまった。
夫にその話をすると、「それは仮説を立ててそれに対する解を持っていないからだ。自分が解を持っていない話題について意見を求められても急に解が出せるわけがない。」とのことだった。
ニュースを見ても見るだけになってしまって何も考えていなかったら、先日起こった事件について意見を求められても独自性のある回答ができないのは当然である。
解を出せないのは私の頭が悪いわけでもなんでもなく、ただ考えが及ばないフィールドが多いだけなのだ。
本を読んだり勉強したりすれば知識は蓄えられる。でも知識を蓄えても自分自身の考えは得られない。誰かに質問されても得られた知識の中から解を見つけることになってしまう。それは私の意見ではない。
まずは様々な話題に触れて知識を高めると同時に、自分の考えを常に持っておくことが重要だ。
仮説を立てつつ、この人はこう言ってるけど本当だろうか?この場合はどうだろう?あれにも当てはまるのではないか?
そうすることで通り一辺倒の回答ではなく、様々な視点から自分の考えを展開できるようになる。
そう、これは訓練である。
仮説を立てては自分の見解を出し続けることで、どんな話題を振られてもある程度自分の意見を即座に出せる体質にもなれるはずだ。